
遠い昔、ガンジス川のほとりに広がる広大なヴァーラーナシー国に、須弥陀陀羅尼(しゅみだかにゃ)という名の王がいました。王は聡明で、民を深く愛し、公正な統治で国は栄え、人々は平和に暮らしていました。しかし、王には一つ、深い悩みがございました。それは、王の寵愛する王妃が、原因不明の病に臥せっていたのです。王妃は日に日に衰弱し、医者の薬も芳しい香りのする薬草も、何の効果もありませんでした。王は、王妃の顔を見るたびに胸を締め付けられるような思いで、夜も眠れぬ日々を送っておりました。
ある日、王は侍医を呼びつけ、王妃の容態について尋ねました。「先生、王妃様の病状はいかがかな? 何か良い薬はないのか?」侍医は、顔を青ざめさせて答えました。「陛下、誠に申し訳ございません。あらゆる名医の知恵を絞り、珍しい薬草を試しましたが、一向に効果が見られません。まるで、王妃様の命そのものが、見えない糸に引かれているかのようです。」
王は絶望しました。王妃は王にとって、ただの妻ではありませんでした。彼女は王の心を慰め、国の平和を象徴する存在でもあったのです。王は、王妃の寝室に一人で入り、憔悴しきった王妃の傍らに座りました。王妃は、か細い声で王に語りかけました。「陛下、もうお気になさらないでください。私は…もう、長くないのかもしれません。」
王は王妃の手を握りしめ、涙をこらえながら言いました。「そんなことを言うな! 私はお前なしでは生きていけない。必ず、お前を救う方法を見つけてみせる。」
その夜、王は王妃の傍らで眠りに落ちました。すると、夢の中に、白髪の老僧が現れました。老僧は穏やかな声で王に語りかけました。「王よ、あなたの王妃の病は、肉体的なものではない。彼女の心は、過去の罪業に囚われているのだ。その罪業を清めるためには、須弥陀陀羅尼という聖なる経典を、心から唱え続ける必要がある。」
王は飛び起きました。夢で見た老僧の言葉が、まるで雷鳴のように王の心に響きました。彼はすぐに侍従を呼びつけ、老僧の言葉を伝えました。「須弥陀陀羅尼という経典を探してこい! どんな手を使っても良い。すぐにだ!」
侍従は、王の命令に驚きながらも、すぐに国中の賢者や僧侶たちに触れ回りました。しかし、須弥陀陀羅尼という経典は、どこにも見当たりません。人々は首を傾げ、王の命令を果たすことができませんでした。王は焦りました。王妃の容態は、さらに悪化していました。
そんな中、一人の老いた木こりが王の前に進み出ました。彼は貧しい身なりでしたが、その瞳は澄んでおり、王の顔をまっすぐに見つめました。「陛下、私は遠い昔、ある聖者から須弥陀陀羅尼について聞いたことがあります。しかし、それは文字に記されたものではなく、慈悲の心そのものだと聞きました。その慈悲の心を、心から相手に注ぐことこそが、真の須弥陀陀羅尼であると。」
王は、木こりの言葉に耳を傾けました。彼は、王妃への愛情、民への慈悲、そして自らの罪業への反省の念を、改めて深く感じました。王は木こりに言いました。「では、どうすればその慈悲の心を王妃に注ぐことができるのだ?」
木こりは静かに答えました。「王よ、まずご自身の心を清めなさい。そして、王妃様の苦しみを、ご自身の苦しみとして受け止めなさい。王妃様への無償の愛を、一点の曇りもなく、王妃様へ捧げなさい。それが須弥陀陀羅尼なのです。」
王は木こりの言葉を胸に刻み、王妃の寝室に戻りました。彼は王妃の手を取り、目を閉じました。王は、王妃の苦しみを、自分のもののように感じました。王妃の顔に浮かぶ苦痛、その細い息遣い、すべてを全身で受け止めました。そして、王は王妃への限りない愛、深い慈悲を、一点の曇りもなく、王妃の心へと注ぎ込みました。王は、王妃が健やかになることだけを願い、その愛を捧げ続けました。それは、見返りを求めない、真の愛でした。
すると、不思議なことが起こりました。王妃の顔色に、かすかな血の気が戻り始めたのです。そして、王妃はゆっくりと目を開け、王の顔を見て微笑みました。「陛下…。」その声は、以前よりもずっと力強くなっていました。
王は、王妃の回復を目の当たりにして、喜びの涙を流しました。王妃は、数日後にはすっかり元気になり、以前にも増して美しくなりました。王は、木こりの言葉が真実であったことを悟りました。須弥陀陀羅尼とは、外にあるものではなく、人の心の中にある、慈悲と愛そのものだったのです。
王は、この経験を基に、国中に慈悲と愛の教えを広めました。人々は互いに助け合い、争いをやめ、国はさらに平和で豊かになりました。王は、王妃と共に、長く幸せに暮らしました。
この物語の教訓は、真の救いは、外にあるのではなく、私たち自身の心の中に、慈悲と愛という形で存在しているということです。見返りを求めない純粋な愛と慈悲の心こそが、どんな困難をも乗り越え、真の幸福をもたらすのです。
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