
遠い昔、バラモン教の聖地として栄えるヴァーラーナシーの都の近くに、広大な森林がありました。その森の奥深く、苔むした岩や鬱蒼とした木々に囲まれた場所には、一本の古木がそびえ立ち、その枝には、雄々しくも穏やかな鶏が一羽、住んでいました。その鶏は、ただの鶏ではありませんでした。彼は、未来の仏陀、すなわち菩薩でした。菩薩たる鶏は、生まれながらにして、一切の事柄に対して揺るぎない平静さ、すなわち「無関心」(ウペッカー)の徳を具えていました。世の出来事に一喜一憂することなく、ただ静かに、自然の摂理に従って生きていたのです。
ある日、その森に、恐ろしい出来事が起こりました。凶暴な猟師が、獲物を求めて森に入り込んできたのです。猟師は、鋭い目つきで獲物を探し回り、その目は、偶然にも菩薩たる鶏が住む古木に留まりました。猟師は、その鶏の美しさと、何よりも、全く動じることのないその態度に目を奪われました。「おお、なんと立派な鶏だ!こんな立派な鶏は見たことがない。これを捕らえれば、王侯貴族に献上して、巨万の富を得ることができるだろう。」猟師の心は、欲望に燃え上がりました。
猟師は、弓に矢をつがえ、鶏を狙いました。しかし、菩薩たる鶏は、猟師の気配を察知しても、微塵も動じませんでした。ただ、静かに古木の枝に止まり、朝の光を浴びていました。矢は、風を切って飛んでいきました。その矢は、鶏のすぐ脇をかすめ、古木の幹に深く突き刺さりました。もし、鶏がわずかでも身をかわしていれば、矢は彼に命中していたでしょう。しかし、鶏は、まるで自分に関係のない出来事かのように、ただ静かにその場にいました。
猟師は、驚愕しました。彼は、これまで数え切れないほどの獲物を射止めてきましたが、これほどまでに無関心な獲物は初めてでした。「何ということだ!あの矢は、確かに奴に当たったはずだ!なぜ、奴は死なないのだ?」猟師は、信じられないといった表情で、鶏を見つめました。鶏は、静かに首を傾げ、猟師の様子をじっと見ていました。その瞳には、怒りも、恐れも、悲しみも、一切ありませんでした。ただ、深い静寂だけがありました。
猟師は、再び矢をつがえ、狙いを定めました。今度は、より正確に、鶏の心臓を狙いました。しかし、再び、矢は鶏のすぐ脇をすり抜け、古木の別の幹に突き刺さりました。猟師は、恐怖と畏敬の念に襲われました。「まさか、この鶏は、ただの鶏ではない。神にでも守られているに違いない。」猟師は、弓を置きました。彼の心にあったのは、獲物を捕らえるという欲望ではなく、人間を超えた存在への畏れでした。
猟師は、鶏に語りかけました。「おお、賢き鶏よ。私は、あなたを捕らえようとしましたが、あなたの並外れた平静さに、私は深く感銘を受けました。あなたは、私の矢から逃れることもせず、ただ静かにそこにいました。それは、まるで、すべてを悟った賢者のようでした。私は、あなたに危害を加えることはできません。あなたの徳に、私はひれ伏します。」
菩薩たる鶏は、初めて静かに口を開きました。その声は、澄んでいて、まるで泉の水の流れのように響きました。「猟師よ。あなたの弓の腕は素晴らしい。しかし、真の力とは、弓を引くことではなく、心に動揺を起こさせないことにあるのだ。私は、この木に住み、この木に育てられた。この木は、私にとってすべてだ。この木が私を守ってくれている。しかし、それ以上に、私自身の心が、すべてをありのままに受け入れることを知っているのだ。恐れも、怒りも、執着も、私にはない。だから、あなたの矢は、私を傷つけることができなかったのだ。」
鶏の言葉は、猟師の心に深く響きました。彼は、これまで自分の人生が、欲望と争いに満ちていたことを悟りました。「私は、これまで何のために生きてきたのだろうか?ただ、他者を傷つけ、自分の欲望を満たすためだけに生きてきた。しかし、あなたの言葉を聞いて、人生にはもっと大切なものがあることを知った。」猟師は、深く頭を下げ、森を去りました。彼は、二度と獲物を求めて森に入り込むことはありませんでした。彼は、鶏の言葉を胸に、慈悲の心を持って生きるようになりました。
菩薩たる鶏は、その後も変わらず、古木の上で静かに生きました。彼は、森の動物たちに、平静さの重要性を説きました。鳥たちは、彼に教えを請い、鹿たちは、彼の言葉に耳を傾けました。森全体が、彼の揺るぎない無関心によって、穏やかな場所となりました。
やがて、鶏は寿命を全うし、静かにその生涯を終えました。しかし、彼の教えは、森の動物たちの中に、そして、それを聞いた人々の心の中に、永遠に生き続けました。
この物語は、私たちに、真の強さとは、外的な力ではなく、内なる平静さにあることを教えてくれます。どのような困難や誘惑に直面しても、心を乱さず、すべてをありのままに受け入れること。それが、真の幸福への道なのです。
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